- 2024-10-9
- 旅行 プレスニュース
●家康が元服式を行った「静岡浅間神社」も10月31日(木)に保存修理現場を公開●「久能山東照宮博物館」では11月30日(土)まで徳川家康公所用の甲冑を展示
静岡市にある「臨済寺」は、年に2回行われる特別公開を10月15日(火)に実施します。
秋の特別公開では、1983年に国指定重要文化財に指定された「本堂」や、国指定名勝の「臨済寺庭園」、駿府の今川家に滞在していた竹千代(のちの徳川家康)が学んだと伝わる「手習いの間」などが公開されます。
また、静岡市では毎年文化庁が定める「文化財保護強調週間(11月1日~7日)」の前後の期間で通常非公開の文化財を公開する取り組みを実施しているため、「臨済寺」の他に「静岡浅間神社」や「久能山東照宮博物館」の一部展示でも特別公開をしています。
●年に2日間のみ特別公開される「臨済寺」
「臨済寺」は、修行僧の寺院であるため、通常は拝観不可となっていますが、毎年今川義元の命日である5月19日(日)の「春の特別公開」と、徳川家康が信奉した守り本尊「摩利支天像」の祈祷に合わせた10月15日(火)の「秋の特別公開」の2日間限定で一般公開されます。
●「臨済寺」秋の特別公開 概要
開催日 :2024年10月15日(火)
開催時間:10:00~15:00 ※10:00より法要を行います。
所在地 :静岡市葵区大岩町7-1
拝観料 :無料 ※お申し込み不要
●竹千代(のちの徳川家康)が学んだと伝わる「手習いの間」
「手習いの間」とは、幼名・竹千代と名乗っていた徳川家康が八歳から十九歳の時に、今川義元の軍師・臨済寺住職の太原雪斎(たいげんせっさい)から学問を学んだと伝えられている部屋です。
●国指定名勝の「臨済寺庭園」
臨済寺本堂の裏手にある「臨済寺庭園」は、徳川家康が寺を再建した際に造られたとさた庭園で、1936年には国指定の名勝に指定されました。特長としては、静岡の名前の由来ともされる賤機山(しずはたやま)の沢筋から水をひき、賎機山の斜面を巧みに利用した高低差のある作りとなっています。
●市街地が一望できる「茶室 無想庵」
大書院から続く渡り廊下を登った先にある静岡の街を一望できる茶室です。上から一望すると臨済寺本堂が今川氏の館があった場所(現在の駿府城公園)を向いていることが分かります。茶室の中には、龍や寅が描かれた襖や、今川義元(画像・真ん中)・氏輝(画像・右)の木像が鎮座しています。
●家康も勝利を祈った「摩利支天像」
イノシシにまたがり、猪突猛進する姿をしている「摩利支天」戦いの神として崇拝されてきました。かつては静岡浅間神社内の八千戈神社に祀られていたこの「摩利支天像」に、関ケ原の合戦に臨む家康も勝利を祈ったといわれています。
◆今川家の菩薩寺・徳川家康が幼少期に過ごした「臨済寺」
●今川家の菩薩寺としての歴史
駿河の国の戦国大名・今川氏の菩提寺である臨済寺は、1528年〜1531年に今川氏親が出家した息子・義元のために建立し、当初は善得院と称されました。後の1536年に、今川義元兄・氏輝の死後に起きた家督争い(花倉の乱)に勝利した義元が氏輝を弔うために、法名にちなんで「臨済寺」と改めました。
臨済寺では桶狭間の戦いで討ち死にした義元の葬儀が行われ、江戸時代を通じてその供養が続けられました。現在も、義元の命日である5月19日に法要が行われています。
● 駿府に送られた徳川家康は、実は人質ではなかった?!
幼少期は“今川家の人質”と言われる徳川家康ですが、臨済寺が今川家軍師・太原雪斎から武将となるための英才教育を受けていた場所でもあるため、人質ではないという言い伝えもあります。
実際に豊富秀吉の配下で駿府に戻った家康は、武田との戦乱で焼け落ちた臨済寺を再興し、臨済寺への軍勢の立ち入りを禁じた、家康の朱印状も残されています。
◆家康が元服式を行った「静岡浅間神社」
● 特別公開内容
「静岡浅間(せんげん)神社」では、保存修理現場の見学会を開催します。
また、静岡浅間神社境内にある「八千戈(やちほこ)神社」では、通常非公開の内部を公開します。
● 概要
<「静岡浅間神社」保存修理現場見学会>
日時 :10月31日(木) ① 9:00~ ②10:00~ ③11:00~
場所 : 静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 (集合場所:静岡浅間神社社務所前)
定員 : 各回20人(計60人)
HP : http://www.shizuokasengen.net/
※見学無料 ※事前申込制の申込順です
※小学4年生以上が対象となります
<「八千戈神社」内部公開>
日時 : 10月15日(火) 10:00~16:00 ※祭典終了後、見学可能
見学料:200円 ※事前申込は不要です
● 「静岡浅間神社」概要・歴史
神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の三本社と四つの境内社から成る神社です。
今川氏、武田氏をはじめ数々の武将たちに崇敬され、中でも元服式を行ったとされる徳川家康は、ひときわ思い入れが強かったと言われています。家康は、武田氏との戦のために焼き払った社殿を約束通りに再建したとされ、その思いは江戸幕府の歴代将軍たちにも引き継がれました。2度の火事に遭い、社殿は全焼してしまいましたが、1804年から幕府の援助を受けた工事として、60年の歳月と10万両とも言われる多くの資金を投じて再建されたのが現在の社殿群となります。
神部神社、浅間神社、大歳御祖神社の三本社と四つの境内社から成る神社です。
今川氏、武田氏をはじめ数々の武将たちに崇敬され、中でも元服式を行ったとされる徳川家康は、ひときわ思い入れが強かったと言われています。家康は、武田氏との戦のために焼き払った社殿を約束通りに再建したとされ、その思いは江戸幕府の歴代将軍たちにも引き継がれました。2度の火事に遭い、社殿は全焼してしまいましたが、1804年から幕府の援助を受けた工事として、60年の歳月と10万両とも言われる多くの資金を投じて再建されたのが現在の社殿群となります。
◆徳川家15代将軍の甲冑全てを所蔵する「久能山東照宮博物館」
● 特別公開内容
徳川家康が所用していた「白檀塗具足(びゃくだんぬりぐそく)」をはじめとする歴代15代将軍の甲冑を展示する特別展「徳川歴代将軍名宝展」を開催します。
江戸時代は家康が着用した「白檀塗具足」をはじめ、歴代15代将軍の甲冑は江戸城に保管されていましたが、明治になると家康を祀る久能山東照宮に移されました。そのため、徳川家15代将軍の甲冑全てを所蔵するのは久能山東照宮博物館のみとなります。
● 概要
日時 :11月30日(土)まで 9:00~17:00 (最終入館16:45)
場所 :静岡市駿河区根古屋390
見学料:大人400円、小中学生150円
●「久能山東照宮」概要・歴史
徳川家康が眠る神廟がある「久能山東照宮」は、家康をご祭神としてまつる全国東照宮の創祀です。
1616年に駿府城で生涯を終えた家康は、久能山に遺骸を納めることを遺言しました。亡くなった夜には、家康の亡骸が側近によって久能山に運ばれ、棺の中で座った姿勢で埋葬されたと伝わります。西を向いて埋葬されたのも、故郷の三河や京の朝廷を見守る、西国の有力大名に睨みをきかせるためとも言われています。
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