有限会社はたやま夢楽が「土佐ジロー」六次産業化で創立20周年記念

有限会社はたやま夢楽が「土佐ジロー」で創立20周年を祝う

有限会社はたやま夢楽が「土佐ジロー」のブランドを通じて六次産業化を推進し、創立20周年を迎えました。この記念すべき年を祝うため、地元の特産品を活かした新たな商品展開とイベントが計画されています。土佐ジローの品質を全面に押し出し、地域活性化に向けた取り組みとして、消費者とのつながりを深めることを目指しています。あわせて、地域との連携や持続可能な農業についても注目が集まっています。

この記事の要約

  • 有限会社はたやま夢楽が創立20周年を迎えた。
  • 「土佐ジロー」で六次産業化を進めている。
  • 地域活性化や持続可能な農業に力を入れている。
土佐ジロー専門御宿「ジローのおうち」で提供している炭火焼の皿鉢盛り。白子やトサカなどの希少部位も含め、部位ごとに生産者自らが焼き方を変えて、説明をしながら、手元の皿へ運んでゆく。

苦難の連続を、ファンの支えで乗り越える

はたやま夢楽は、四国の南東部、太平洋から山あいに20kmほど分け入った畑山という“限界集落”にあります。千年ほど前から存在し、江戸時代以降も800人が暮らしてきた畑山集落でしたが、昭和の市町村合併や木材の輸入自由化などで人が市街地に流れ、今は20人ほどになりました。

畑山は、はたやま夢楽の会長・小松靖一が生まれ育った故郷です。靖一は「大好きな故郷で暮らし続けられる産業を創りたい」と大工から転身。1987年、高知県の地鶏「土佐ジロー」の飼育を始め、その後、食鳥処理と食肉加工も手がけるようになりました。加えて、地域に残された唯一の交流拠点施設が閉鎖されることを憂い、行政の指定管理者になって経営することを決意。2004年に法人化しました。社名の「はたやま夢楽(むら)」は、かつて畑山村だったことにちなみます。往時のような賑わう”むら”にしていきたい、そんな夢を楽しみながら叶えていきたい、との思いを込めました。

宿の運営を始めた当初は、県道の行き止まりにある畑山集落のライフラインの確保も願い、多くの集客を目的にしていました。土佐ジローの親子丼が人気となり、年間8,000人もの集客を実現したこともあります。しかし、本来の旨みや土地の魅力が伝わらず、往来の不便な場所で営業をすることへのご批判を受けることもありました。そこで、炭火焼を中心にしたコース料理をメーンにした広報スタイルに変えました。予約をしていただき、会長が部位ごとに炭火で焼きながら、土佐ジローの生態や焼き方などを伝授します。そして、問われるままに畑山の歴史や四季の楽しみ方を伝えるようにしました。また、より深く土佐ジローを知っていただく合宿形式の宿泊プランを提供したり、婚活や森林浴、BBQなど、畑山ならではの企画にも取り組みました。結果、多くの方がリピーターになってくださいました。

ファン創りは実を結び、はたやま夢楽の苦難を幾度となく、乗り越えさせてくれました。2018年には、利用していた食鳥処理・食肉加工場からの突然の退去を求められ、さらには、西日本豪雨による集落の孤立もありました。しかし、クラウドファンディングや銀行融資を得て、事業の継続と新しい加工場の建設をすることができました。2020年には、コロナ禍を受け、取引先の休業などで売上が落ち込む中、ファンの方たちに買い支えていただき、乗り切ることができました。2021年には、宿泊施設を撤退することになり、生産と加工に絞りこむことも検討しました。閉店を聞いて駆けつけてくれたファンからの応援の声を受け、クラウドファンディングや銀行融資を得て、新しい宿を畑山に建てることができました。

人口20人の“限界集落”に、年間1,800人を呼び込む地鶏「土佐ジロー」

2022年2月、畑山の森の中に、2室限りの小さな御宿「ジローのおうち」はオープンしました(宿泊最大定員8名)。コロナ禍での開業で不安もありましたが、完全予約制で、個室でくつろげることに加え、2室利用で貸切りになることも幸いし、たくさんの予約をいただきました。リピーターを中心に、初年度は年間1,000人近くの方が宿泊をし、ランチコースも合わせると1,800人もの方が、訪ねて来てくれました。

土佐ジローは、特殊な種類であることに加え、鶏を鶏らしく育てる結果、肉質に特徴があり過ぎ、取り寄せるだけでは美味しく焼けないこともあります。37年にわたり、向き合い続けた靖一が、一切れずつ焼き方を変え、土佐ジローの説明をしながらお客さんのお皿に運びます。畑山までの道中の険しさにげんなりしていた人でさえ、「人生観が変わった」「想像を超えた」と笑顔になってくれる瞬間は、生産者冥利に尽きます。

土佐ジローの説明をしながら焼いていく。食材の美味しさの背景を知りたい方に、好評。

現在も、週末を中心に満室のご予約をいただき、来泊者数は延べ2,200人を超えました。ランチコースも合わせると4,700人以上にご来店いただいています。国内はもちろん、シンガポールやアメリカなどからも、お見えになり、オーストラリアやスペインからはリピートもいただいています。

土佐ジロー専門御宿「ジローのおうち」の部屋に置いたノートに書かれた感想。リピーターも多く訪れている。

愛する故郷で、暮らしたい

遡ると、800人もの人が暮らした畑山から「まち」へ、急激に人が流出した時代がありました。

「生まれ育った大好きな畑山で暮らしたい。人が暮らせる産業を生み出したい」

はたやま夢楽の会長・小松靖一は、「むら」が捨て去られようとする中、畑山でこんな夢を描きました。

小学校入学時に13人いた同級生が、中学校卒業時には4人になっていました。林業が衰退し、畑山での仕事はなくなっていきました。青年になった靖一は、大工になり、市街地へ通う日々を過ごしました。

仕事のかたわら、畑山での青年団活動に躍起になり、人が減り続ける流れに竿をさすべく、畑山を守ろうとしました。それでも人は減り続けました。生きる糧が無いと畑山で暮らせないことを痛感します。そして、畑山での仕事を創ろうと大工を辞め、シシトウや柚子の栽培などを始めます。紆余曲折を経て、「土佐ジロー」と出会ったのは、1987年のことでした。

採卵鶏として養鶏業をスタート。肉養鶏が主力となった今も、小羽数ながら続けている。

高値でも美味しい地鶏のお肉を食べたいお客さんがいる!と信じて

「土佐ジロー」は、天然記念物「土佐地鶏♂」と、在来種「ロードアイランドレッド♀」の子どもです。高知県が開発した地鶏で、卵肉兼用として、卵を生んでもらい、そのあと、肉として販売するモデルが描かれていました。もともと産卵率が低く、一方で、春と秋には産卵数が一気に増え、通年での安定性がなく、苦戦します。

早々に採卵業として頓挫しそうになりますが、「土佐ジローで地域興しを」と掲げてしまっていました。そこで、生まれた時点で廃棄されていた雄の肉活用を考えるようになりました。しかし、県庁職員からは「100g単価が500円を超え、牛肉を追い越してしまう」と前向きな返事はもらえませんでした。一般的な鶏肉は、45日程度で3kg以上に育てることが主流ですが、土佐ジローは雄で150日育てても1.5kgにしかならず、採算が得にくいのです。それでも、「高値でも、美味しい鶏肉を食べたいお客さんはおるはず」と、肉用としての飼育を始めました。生産方式も定まっていない、肉質も特異で高値の土佐ジローは売れない日々が続きました。

大工やトラック運転手のアルバイトをしながら、土佐ジローのご飯代や資材費を稼いだりもしました。苦労と思うこともなく、土佐ジローを美味しく育てあげることに心血を注いだ日々でした。畑山ならではの環境を生かし、鶏を鶏らしく育てることをモットーにしていました。土佐ジローの健康を気遣い、肉の旨みを引き出す育て方を追い求めました。地鶏の性質に合わせた鶏小屋になるよう、大工の経験を活かし、建てては壊し、建てては壊しを繰り返していきました。

例えば、運動能力が高い土佐ジローを広い鶏舎で飼育すると、飛びまわったり、走り回ったりして、食べたご飯が運動エネルギーとして消費されてしまいます。また、広い運動場では、空を飛ぶタカなどにも反応をし、ストレスを感じてしまいます。このため、運動場の広さを幾度も変え、止まり木を設置するなどして、土佐ジロー型の鶏舎を創り上げていきました。ひとまずの完成まで10年ほどかかりましたが、目指す味に近づくことができ、「まるでジビエ!?」とも称されるようになり、メディアでの露出も増え、生産を拡大することもできました。

鶏を鶏らしく、土の上で元気に育てる

土佐ジローは、高さで数m、距離で40~50m滑空できるほどの運動能力を持ちます。鶏の先祖と呼ばれる東南アジアに今も生息するセキショクヤケイに近いとされる地鶏の一代種で、次世代を孵化させる抱卵の性質を含め、野性的な本能を色濃く受け継いでいます。広々とした鶏舎で飼育をすると、運動をして筋肉が発達し過ぎ、現代の日本人が咀嚼するには硬すぎる肉質になってしまいます。また、飼育の集団が大きいと、圧死したり、喧嘩が増えるなど、事故の可能性が高まります。鶏が暮らす小屋と土の遊び場を半分ずつとし、羽数も調整をしていきました。鶏が暮らす小屋の止まり木は、階段状にすることで、幼いころの飛躍力でも飛び上がれ、次に進めるステップ状になっています。鶏同士の目線が異なってくることから、喧嘩をし続けることも減少しました。「鶏は3歩歩けば忘れる」。そんな言葉を目の当たりにした出来事も多々ありました。

野生種に近い特徴を生かして設置する階段状の止まり木。特に夕暮れが近づくと就寝体制をとるため、勢ぞろいする。

収入を考え、肉の重量を得ようとすれば、小型種といえど、カロリーの多い餌を与えれば可能です。ただ、それは、土佐ジローで実現するべき事柄かといえば、Noという判断をしてきました。ある時、土佐ジローの生産様式を見つけたと思い、カロリーの高い餌を与え、太らせようとしたことがありました。「俺が美味しいと思って与えたエサを食べずに、砂肝の中は土でいっぱいだった」と、靖一は述懐します。

砂肝は、鶏の胃袋にあたります。本来は、土や小石を食べ、穀物と砂肝の中ですり合わせることで体内に吸収をする動物です。太り過ぎる餌を食べるのではなく、土を食べて自ら調整をしていた、と考えるようになりました。また、土を食べることで、ミネラル成分が体の中を巡ることで、体臭を消す役割も果たしている、と思う出来事もありました。

砂肝本来の機能に着目して、飼育法に反映。食味としても一般的な砂肝とは異なり、来客をうならせている。

ある時、隣りの村で飼っていた土佐ジローをさばきました。肉用をスタートしたころは、県内でも数か所、生産をしていたためです。それまで自社の土佐ジローと同じようにさばいていたけれど、数羽さばくと、包丁が脂質でぬるぬるになってしまいました。聞けば、苦情を受けて、庭の土の上での平飼いができなくなり、板を張った小屋の中に閉じ込めて飼育をしていた、とのことでした。はたやま夢楽の土佐ジローの油の質や、砂肝の果たす役割について、考えを深めることになりました。

体験を反映した鶏小屋の工夫が実を結び、筋肉の繊維が発達をしながら、現代人が噛んで程よい硬さに調整することができました。適度な脂質と水分量を持ち、炭火で焼くと、噛み応えがあるのに硬くは無い、旨み溢れる肉質を実現することができました。

土佐ジローに夢中になり、婚期を逃していた靖一でしたが、2010年、突如、25歳の年の差婚をして高知県内を騒がせます。地元新聞で、丸ごと1ページを使って報じられるほどに…。

新聞記者を辞め、畜産農家として、限界集落からの情報発信を

本記事を書いているはたやま夢楽・社長の小松圭子です。愛媛の漁村で生まれ育ち、農山漁村で一次産業に従事し、子育てをしたい、と夢見ていました。都内の大学へ進学し、各地の農山漁村を訪ねる中で、畑山と出会いました。愛媛での新聞記者を経て、「靖一さんの夢を一緒に叶えていきたい」と、2010年、仕事を辞め、押しかけ女房に…。

「自分の給料くらい稼ぎだして見せる」と意気込んできたものの、飼料代や燃料代の高騰、大地震による買い控えなど、現実は甘くありませんでした。来客数が多いけれど、客単価が安過ぎることも問題でした。「山奥に来てもらっているんだから、安く提供しないと」と言う地元の声と、「値段が安くて、どんなものを出されるのか安心できない」というお客さんの声を聞くこともありました。「せっかくの美味しい食材。継続できる値段設定をしてください」。来客の中には経営者もいて、教えていただくこともたくさんありました。

販売方法や営業スタイル、集客方法など、課題は盛りだくさん。一方で、限界集落ゆえ、働き手はおらず、少ない人数でできることを探しながら、解決していきました。

毎日のように食べる土佐ジロー。切れの大きさや脂の乗り具合などに合わせて、一番美味しい状態で焼いて提供する。

職人気質で、どんぶり勘定の夫に代わり、2017年、はたやま夢楽の社長に就任。直後から、西日本豪雨で集落が孤立したり、加工場と宿の建設など、廃業や離村することが脳裏をよぎりました。それでも、お客さんが見せてくれる土佐ジローを食べた瞬間の笑顔に、確信も得ていました。「この味わいを知ってもらえれば、きっと開かれる未来がある」と、前を向き続けてきました。

”幻の地鶏”はたやま夢楽の土佐ジロー。特徴を理解して、手に取ってもらう。

部位ごとに異なる味わいを楽しめる土佐ジロー。天日塩を振ってなじませ、強火で全体的に火入れをするだけで美味しい。

白子や鶏冠など、日本の鶏肉業界では珍しい部位も存在するはたやま夢楽の土佐ジロー。希少部位だけではなく、もも肉やむね肉など、市場流通する鶏肉の質とは、ずいぶんとかけ離れた存在です。「どうせ鶏でしょ」と訪ねてきたお客さんが、「今まで食べてきた鶏肉はなんだったんですか?」と尋ねるほどに。

一時的な販売だけを考えれば、希少部位をウリにして、販売戦略を立てれば売れる時期もあったと思います。そもそも、扱いが難しいわけではなく、鶏肉そのものに濃い味わいがあるため、お家でも天日塩を振って馴染ませ、強火でこまめに火入れをしてあげるだけで美味しく食べていただけます。ただ、一般的な鶏肉に親しむ消費者にとっては、信じてもらえず、硬くなったり、旨みを逸してしまったり。時には強烈なクレームをいただくこともありました。

それは飲食店でも同じでした。見積依頼をいただくこともありますが、無償サンプルが取引に繋がることは、ほとんどありませんでした。ただ、畑山に食べに来てくれた飲食店さんは継続することが多々ありました。そのため、「畑山で食べてから検討してほしい」「せめて一度は通常価格で取り寄せてから話をさせてもらいたい」と、一見さんお断りに近い営業方法をとってきました。

個人のお客さん向けには、おうちでも美味しく食べていただけるようレシピや、加工品の開発も行いました。鍋セットは冬の人気商品となり、アヒージョやお粥、レバーペーストなどはギフトにも好評をいただいています。

時間はかかりましたが、土佐ジローを理解して扱ってくださる方が増えてきました。納品先の飲食店さんへ出向き、貸切イベントを行っていただくこともあります。はたやま夢楽が土佐ジローの説明をし、お料理はお店のシェフにフルコースで用意していただいています。個人のお客さんも、宿泊やお取り寄せを重ねることで、お肉そのもののもお家で美味しく召し上がっていただけるようになってきました。”伝道師”のように、お友だちに宣伝をしてくださる熱烈なファンの方も多くなりました。

土佐ジローをお腹いっぱい楽しむ御宿の波及効果

森の中にぽつんとある御宿「ジローのおうち」。すぐ横を流れる畑山川のせせらぎや、小鳥たちの鳴き声をBGMに土佐ジローを楽しむことができる。

「ジローのおうち」を建てる際、畑山の風景を楽しんでもらえるよう窓を配しました。SNSなどでも風景を発信していることから、自然の中で味わう土佐ジローを楽しみにお越しいただく方も増えています。「素敵なところですね」と喜んでいただき、ハンモックに揺られながら、夕暮れを眺めるお客さんの姿を見て、私たちも嬉しくなります。

谷にあることに加え、街灯もほとんどないため、新月の夜には、満天の星空が見られることもあります。宿の庭先で、天の川を眺めたり、流れ星に遭遇することもあり、月の暦や流星群のピークに合わせてご予約をいただくことも出てきました。

ジローのおうちの庭から眺めた星空。Photo by 細木拓也。

宿のチェックインは15~17時と限っています。パンクなど不測の事態に備え、すべてのお客さんに、市街地で連絡をしてから、山道に入ることを求めている“面倒臭い”宿でもあります。道中の県道は、携帯電話の圏外エリアが続く上、工事による時間規制をしていて、1時間に10分しか通れないこともしばしばあります。その時間をかいくぐって、お客さんを含め、私たちも往来をしています。工事が多いことは、道事情の改善でもあります。「10年前は、もっと狭くて大変だった」。来る度の変化にリピーターさんが驚いています。それも、土佐ジローを求めて訪ねて来るお客さんの存在が、かなり大きな“要因”になっていると考えられています。

通信事業でも大きな波及効果があったと感じています。10年前まで、インターネットはもちろん、携帯電話も圏外で、固定電話の音声さえ混線したり、ファクスが使えない等、事業経営に大きな支障がありました。SNSなどで通信事情を発信したことや、宿泊された方が通信事業者だったことなどが、世間への周知に繋がったでしょうか。少しずつ携帯電話が使えるようになったり、衛星を活用したりできるようになりました。行政にも尽力していただき、2024年末には、大手3キャリアの通話エリアとなる予定で工事が進んでいるところです。

家族だけでスタートした養鶏事業でしたが、少しずつ羽数を増やし、従業員も雇用してきました。現在、役員を含め11人が働いています。関東からの移住者も受け入れていて、最初の契機は、「ジローのおうち」への宿泊でした。お客さんから、インターンを経て、就職をしてくれました。

20周年を迎えて

正直なところ、限界集落に嫁に来るのは不安もありました。暮らしが成り立つのか、子育てができるのか、事業が継続できるのか…。やれるところまでやってみよう!と思って飛び込んできました。嫁に来て14年、息子2人を畑山で育てることができ、お客さんたちと夏の畑山川で遊び、流れ星を共に眺め、サクラを愛で、紅葉を楽しみ、土佐ジローを囲んでジロー談義に花を咲かせる夜を重ねてきました。

そして、心のどこかで夢に見た自分たちの加工場と宿を建て、より畑山を楽しむ日々を過ごしています。将来の夢は、と聞かれることもありますが、正直なところ私たちは、今、ここ畑山で生きることに精一杯です。ただ、畑山での暮らしを満ちたものにしながら、これからも暮らし続けていきたいです。旧畑山村の時のような人口には戻らないまでも、土佐ジローを通じて、ジローのおうちを通して、畑山をふるさとのように思い出入りをしてくれる人たちと交流を深めていきたいと思っています。

法人を経営しながら、今を生きる、ことに精一杯であることは無責任かもしれませんが、人が捨てゆく場所にも、自分たちなりの価値を得て、生きる場所として選び、その土地の可能性を引き出しながら、生き続ける道があることを示していきたいと考えています。

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